徒然なる無能

プログラマにもイラストレータにもなれない

人工無能のベクトル

まず初めに、

人工知能」と「人工無能」はどのように異なるのか。

諸賢はすでにご存知だろうが念のため、”個人的な”定義を記しておく。

 

 

人間、おもに思考を主とした脳を

プログラムで実現することを目指しているもの。

ターミネータやA.Iが有名で分かりやすい。

通常のプログラムは自己発展できないが、

人工知能はその制約を超えて常に変化をし続ける。

もちろん変化するのかしないのかをも選択し、思考する。

現在のプログラムはまるで人工知能のように振る舞うが、

ここに人間が定義した以上のものを実現する力はない。

 

人間が定義したとおり、人間らしく振る舞うプログラム。

人工知能との大きな違いは、”学習”を行うものの

想定した以上の動作を行うことはない、という部分である。

もちろん優秀な人工無能は「中国語の部屋」を再現するが、

 それ故に無能の域を出ることはない。

 

 

プログラム的な観点から見てしまえば、

 

     人工能は自己をコーディングし、

     人工能は自己をコーディングしない

 

に尽きる。

 

 ここでのコーディングとは、

予めプログラムされていた動作の延長上ではなく、

定義にない改変を自身で行うことを指す。

 

もちろんその基盤となっているアルゴリズムを

設計段階ですべてプログラムしている場合は、

延長線上ではあるが自己のコーディングと同意義を持つ。

 

 今回、私が実装したいと考えているのは、

上記の定義で行ってしまえば実はどちらも当てはまらない。

ではなぜ人工無能と題しているのかといえば、

強いて言えば人工無能であろう、と思ったからだ。

 

 

想定する人工無能

 

私の構想を概要だけ書いていこうと思う。

なぜそんなことをするかというと、

私自身が非常に忘れっぽいからである。

思い立った日が吉日であり、明日やろうは馬鹿野郎なのだ。

基本的に馬鹿野郎人間な私はこうやって即時実行しないと、

ほとんどのことを怠けてしまうのである。

将来、もし嫁を迎えることがあるのであれば、

面倒見があり、しっかりした姉御肌の人でないとやっていけないだろう。

 

話がそれたので元に戻そう。

 

想定する人工無能であるが、

「今の段階では」という前置きをして以下の要件を挙げる。

 

  1. 言語要求に対する応答型を絞る
  2. 性格は設計段階で形作る
  3. 自己発展用の設計を組み込む

 

なぜ人工知能でもなく、人工無能でもないのか。

それは3に上げている「自己発展用の設計」にある。

自己発展を想定外の範囲で行うようであれば人工知能で、

プログラムとして定義してしまえばそれは人工無能だ。

しかし、その素材だけを用意しておき、

設計図は自分で考えて図するのであれば、

宙ぶらりんな”能”が完成するというわけだ。

 

 非常に少なくシンプルに書いてはいるが

結構骨が折れそうだと考えている。

 本当であればここに

 

 

なんてのも追加してみたいが、

どう考えてもキャパシティオーバなので、

実装に必要最低限の要素に絞ってみた。

 

 語感から大体は想像できるとは思うが、

次回は上記で上げた3つの要件をもう少し

深く掘り下げてみようと思う。